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池田澄子『本当は逢いたし』
¥2,420
読売文学賞受賞の俳人・池田澄子が卓越した眼差しで綴る、10年の記録。 --- 本当は逢いたい、と思うのは、実際には逢えないってことで――亡き人、昨日逢った人、其処、を此処から綴ったこの10年。最新エッセイ集。 彼の世も小春日和か 此処から彼処の人を思う。 最新句集『此処』で2020年度の読売文学賞を受賞した俳人がこの10年、3・11からコロナウイルス禍までの間に綴った60余篇を編んだ、待望のエッセイ集 タイトルは自作句「本当は逢いたし拝復蝉時雨」から。時々のくらしを営む「此処」から「彼処」にいる本当は逢いたい人たちを思い綴る。彼処にいるのは――軍医として赴いた戦地で命を奪われた父、俳句の師、つい最近亡くなった夫、そして被災地で、猛威を振るう自然災害で、先のむごたらしい戦争で命を失った人たち。楽しい旅の途次に、家事の合間に、テレビを観ている時に、想像力は自然に育まれた命そのものへと向かう。自らの思いを常に客観視しているような透徹なまなざしから生まれる文章は、各エッセイに引いた自作句、師や友や先達の句をピリオドとして、えもいわれぬ余韻を残す。 発行日:2021年12月03日 (日本経済新聞出版)
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神野紗希『もう泣かない電気毛布は裏切らない』
¥1,870
--- 俳句甲子園世代の旗手、待望の初エッセイ集 恋の代わりに一句を得たあのとき、私は俳句という蔦にからめとられた。 幼い息子の声、母乳の色、コンビニのおでん、蜜柑、家族、故郷……日常の会話や風景が、かけがえのない顔をして光り出す。 人は変わらないけど、季節は変わる。言われてみればそうかもしれない、と頷く。 定点としての私たちが、移ろいゆく季節に触れて、その接点に小さな感動が生まれる。過ぎ去る刻をなつかしみ、眼前の光景に驚き、訪れる未来を心待ちにする。 その心の揺れが、たとえば俳句のかたちをとって言葉になるとき、世界は素晴らしいと抱きしめたくなる。生きて、新しい何かが見たいと思う。(「あとがき」より) 【目次】 第一章 ここもまた誰かの故郷氷水――夏 第二章 檸檬切る記憶の輪郭はひかり――秋 第三章 負けてもいいよ私が蜜柑むいてあげる――冬 第四章 短めが好きマフラーも言の葉も――俳句 第五章 母乳ってたんぽぽの色雲は春――春 【著者プロフィール】 神野紗希 1983年愛媛県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。俳人。NHK−BS「俳句王国」司会、Eテレ「俳句さく咲く!」選者などを務める。明治大学・聖心女子大学講師。
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小津夜景 須藤岳史『なしのたわむれ: 古典と古楽をめぐる手紙』
¥1,980
俳人、翻訳やエッセイでも活躍する小津夜景さんと、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、現代詩手帖や『未明02』など、書評や随筆でも活躍する須藤岳史さんの、24の往復書簡。 お二人の前著を知っている方には想像がつくかと思いますが、国内外、現代古典を問わず、引用、参考文献の多様さ、文体の奥行き、厚み、知識と感性の豊かさに圧倒されます。 俳句とヴィオラ・ダ・ガンバ。遠い存在の様で、すれ違いがなく。むしろ、お二人の文化的(と、まとめてしまうには軽薄なほど豊饒な)ハイキングに連れて行ってもらったような読後感のある本です。 言葉、音楽、を越えて、人の営みがひとつなぎとなった向こう側に触れる事の出来る1冊です。(よ) -------------- 古典と古楽は、いつだって新しい―― フランス・ニース在住の俳人と、オランダ・ハーグ在住の古楽器奏者による、言葉と音への親愛と懐疑に満ちた24の往復書簡。文芸と音楽、地中海と北海、断片と物語との、あざやかな響きあい。 人気ウェブ連載を書籍化。 著者について 1973年北海道生まれ。俳人。2013年、連作「出アバラヤ記」で攝津幸彦賞準賞、2017年、句集『フラワーズ・カンフー』で田中裕明賞受賞。漢詩の翻訳を添えたエッセイ集に『カモメの日の読書』『いつかたこぶねになる日』がある。ブログ「小津夜景日記」(https://yakeiozu.blogspot.com) 1977年茨城県生まれ。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。演奏活動の傍ら「望星」「三田文学」「現代詩手帖」「図書」 等に書評や随筆を執筆。共著に『未明02』『原民喜童話集』等がある。 CD:The Spirit of Gambo “The Silver Swan”(STOCKFISCH‐RECORDS)、Le Jardin Secret “Airs Sérieux”(Fuga Libera)等。
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わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版
¥1,000
盛岡在住の歌人・くどうれいんによる、食にまつわる俳句とエッセイ。 20代前半くらいの、がんばっている・がんばろうとしている女の子に贈りたい。あの子とかあの子とか。
書肆侃侃房「新鋭短歌シリーズ」一挙アップ!